日本とアメリカのpros&cons
明けましておめでとうございます。
アメリカ留学中のカイです。
今回はアメリカと日本のそれぞれのpros&cons(メリットとデメリット)の二つを検証していこうと思います。
個人的に私は物事を調べるときにはデメリットを調べるのでまずは各国のデメリットを挙げていこうと思います。そのデメリットから繋がる各国のメリットも挙げていこうと思います。
日本のデメリット
これに関してデメリットだと気づくのはアメリカに来てからです。
一つ目は人種の多様性が少ない、こと。
このことはデメリットだとは一概には言えませんが、アメリカの人種の多様性というところにメリットを感じている私からするとデメリットに感じてしまうというところです。
なぜ、そう思うのか。
私が中高生の時にそれぞれの学校で仲の良いALTがいました。
彼らが言っていたのは日本人の視線が痛い。ということでした。
鼻が高くてカッコいい、目が青くてカッコいいなど、
我々日本人からすると褒め言葉ですが、外国人からするとそうではありません。
特定の人種が人口の大部分を占める日本では仕方のないことだと考えますが、グローバルな世の中になっている現在、より多くの人種が世界にはいると真に理解することは大切だと私は考えます。
その点から、人種の多様性に関して述べるとアメリカでの生活がメリットになり、日本での生活がデメリットになると考えます。
二つ目は年齢的な縦社会。
これは明らかにデメリットだと思います。
中学、高校とたった数歳しか変わらない人たちに先輩呼びをしたりする日本の風習ははっきり言って嫌いです。
何も私は年がはるか上のお年寄りや学校の先生に対して敬意を払う世界のことを言っているわけではありません。
平成15年度に生まれたか16年度に生まれたかぐらいの誤差で先輩呼びするのもされるのもくだらないとしか感じません。
アメリカでは高校のクラスでも同じクラス内に一年生と三年生が混じっていたりと歳のさを感じさせない雰囲気です。
それは部活でも同じです。
アメリカは敬語という概念がある日本語と違い敬語がないと思っている人が大多数だと思いますが、年上の人を敬う文化に変わりはありません。ただ、それが数歳の誤差で生まれるものではないということです。
なぜデメリットか、年上だからという理由だけで自分の言いたいことを言えない人なんてザラにいると思います。
言えない本人が悪い?のではなくて言えない環境が悪いのだと思います。
そもそもわざわざ作る意味があまり感じられない文化だと私は思うので。
さてここでアメリカのデメリットです。
やはり一番に挙げておきたいのが治安の悪さ、ここに関しては本当に地域によりますが、少なくとも夜に女の子が一人で出歩けるような社会ではないです。(おそらく例外はあります。)
それに車に荷物を置いてコンビニとかも危険すぎます。
先日友人が学校帰りに都市部に行ってコンビニで飲み物などを買いに10分ほど車を停めていると窓ガラスを破られて約30万円分の家電を取られてしまいました。
日本だとまず起こらないことが起きるのがアメリカです。
こっちについて二、三週間後には学校の近くのバス停でひったくりが起きています。
二つ目は医療費の高さです。
私は合計でアメリカには一年ほど住んでいます。その中でインフルエンザと疑われる症状が出て、40度の熱を数日間出した時も病院には連れて行ってもらえませんでした。
お願いをしていた訳ではないのですが、アメリカではある程度の風邪は自力で治す風潮があります。これは医療費の高さに起因するものです。
また、保険料もアホみたいに高く私のホストファザー(50代)は月に$700払っているそうです。
救急車の費用もアホみたいです、、
一回の救急車の利用で$4000は余裕でかかります。日本ではただなのにです。
ただ、日本では必要のないときに病院へのタクシー感覚で救急車を利用する人がいることが問題視されているので状況に応じて利用料をある程度取ることが必要だと考えます。
ただ、緊急時にも$4000を取るアメリカ社会はデメリットだと感じます。
旅行に行く時などは保険への加入が義務の場合があるので事前に調べたほうが無難です。
日本人の私にとっては日本のごはんがとても恋しい今日この頃です。
インスタグラムでは友人たちが美味しそうな刺身やそば、海鮮丼などを挙げている毎日。
一番恋しいのは食です。
食に関していうと日本に住むことが私にとってはメリットです。
アメリカと日本のpros&consを挙げてきましたが、どちらの国も良いとこも良くないところもあります。
まずは自分の目で確かめることが一番だと思います。
何もアメリカと日本に限ったことではなく、他の国々に関しても言えることだと思っています。
今日も読んでいただきありがとうございました。
アメリカでの一学期を終えて、
こんにちは。
アメリカ留学中のカイです。
今回はアメリカのコミカレでの一学期を終えての感想です。
実際の感想としては予想に比べてそこまで大変ではなっかったという印象の今学期でした。
留学前に『アメリカのコミカレは卒業が大変』や『卒業の割合が低い』と書かれたウェブサイトを多く見ましたが、生徒の意識の差がひどすぎるので授業や課題が難しいから卒業ができないというわけではなさそうです。
すごく意識の高い友人がいる一方で、親に言われたからなどの理由で通っている人も一定数おり、そこの間の授業に対する意識のギャップが大きいのがアメリカのコミカレの現状です。
ただ、今学期は比較的簡単な授業を多くとっていたということも大変ではなかったという感想に影響してそうです。
エッセイの多かった英語と進路実現のクラス以外は理系科目だったため楽に感じました。
次の学期は倍ちかい授業を撮る予定なので、気を引き締めていかないといけません。
円安が進み、親に迷惑をかけているという事実と、自分の経済力の無さを痛感し、少しでも稼ぐ道をと模索している今日この頃です。
今自分ができることは学業への専念ということしかないことに行き着くのは普通なのだろうか。
ただ、いつも感謝の気持ちを忘れずに過ごそうと思う。
アメリカでの一学期を終えて、
こんにちは。
アメリカ留学中のカイです。
今回はアメリカのコミカレでの一学期を終えての感想です。
実際の感想としては予想に比べてそこまで大変ではなっかったという印象の今学期でした。
留学前に『アメリカのコミカレは卒業が大変』や『卒業の割合が低い』と書かれたウェブサイトを多く見ましたが、生徒の意識の差がひどすぎるので授業や課題が難しいから卒業ができないというわけではなさそうです。
すごく意識の高い友人がいる一方で、親に言われたからなどの理由で通っている人も一定数おり、そこの間の授業に対する意識のギャップが大きいのがアメリカのコミカレの現状です。
ただ、今学期は比較的簡単な授業を多くとっていたということも大変ではなかったという感想に影響してそうです。
エッセイの多かった英語と進路実現のクラス以外は理系科目だったため楽に感じました。
次の学期は倍ちかい授業を撮る予定なので、気を引き締めていかないといけません。
円安が進み、親に迷惑をかけているという事実と、自分の経済力の無さを痛感し、少しでも稼ぐ道をと模索している今日この頃です。
今自分ができることは学業への専念ということしかないことに行き着くのは普通なのだろうか。
ただ、いつも感謝の気持ちを忘れずに過ごそうと思う。
原爆と戦争について考える。
こんにちは。
アメリカ留学中のカイです。
今回は太平洋戦争中に日本に落とされた二つの原子爆弾についての個人的な考えを書いていこうと思います。
私は長崎県で生まれ育ち、平和学習とは常に授業の一部になるような身近な話題でした。
1945年8月6日午前8時15分に広島に8月9日午前11時2分に長崎に落とされた原爆は多くの命を奪いました。
他にも、この太平洋戦争では東京大空襲や沖縄戦など多くの尊い命が犠牲になっています。
何故今、この話題について書こうと思ったのかを説明します。
先日友人3人と遊びに行った時、ふとしたことから太平洋戦争の話になりました。
私は歴史を考えるのは大事な事だと思っているので、たとえその戦争が日本とアメリカの間で起こったことであろうと、真面目に議論するのは良い事であると思っていました。
実際に以前その話題で他の友人と興味深い議論ができました。
しかし、今回はそのようにはいきませんでした。
『日本から仕掛けてきた戦争で多くの人が死んでいるんだから原爆は正しい判断だった。』
と笑いながら言われました。
言っていることは一理あります。ただ笑いながら言われたことに腹が立ちましたし、悲しくなりました。
『パールハーバーは軍事施設を狙ったもので原爆でどれだけの民間人が殺されたのか知っているのか?』と聞くと
『それを言ったらパールハーバーでもアメリカ人はたくさん死んだし、太平洋戦争で米軍人は多く死んだ』
と返されました。
犠牲者の数でどちらが悪いのかと言う議論はしたくありませんが、彼らはキノコ雲の下で何が起こっていたのかを知らないから笑いながらの発言になるのだと気づきました。
知っていたとすれば笑えるはずがありません。
挙げ句の果てには、
『長崎と広島はまだ放射汚染されてるんだろ?お前は大丈夫なのか?』
と、冗談にしても傷つきます。
これら全ての発言が軽率で笑いながらの発言だったことには心底がっかりしました。
正しい情報を得ていない人がアメリカには多くいる、そんな現実を感じました。
俺ら核たくさん持っている自慢もありました。
現状、世界ではロシアやアメリカを先頭に多くの国が核兵器を所持しています。
抑止力になるのは事実なのかもしれませんが、
それを使うことで多くの人の命が犠牲になります。
かっこいいものでは全くありません。
核は人を殺す道具でしかなく、それ以上でもそれ以下でもありません。
知識人の中には『戦争は必要悪だ』と言う人もいますが、
おそらく言っている人は皆他人事です。
少なくとも私は大切な人、自分の故郷を核のボタンひとつでめちゃくちゃにされたくはありません。
そもそも平和な世界で困ることなんてまだ20年しか生きてませんが一つもありません。
当事者になった時に果たして同じセリフが言えるのかが甚だ疑問です。
今の平和は太平洋戦争の結果の平和だから戦争は必要だった、と言われるかもしれません。
しかし、仮にそうだとするのならば、もうこれ以上はいらないでしょう。
本当に戦争で死にたい人なんていないです。
平和ボケしている私たちの世代はもっと戦争中に起きていたことを知る必要があります。
それは何もアメリカ人だけではありません。
私たち日本人も知る必要があります。
そうすれば核が落ちることを望む人は減るでしょうし、笑いながら長崎、広島を不確かな知識で語る人も減るでしょう。
そうなることを願っています。
今回も読んでいただきありがとうございました。
自分なりに考える高校までの教育の意味。
こんにちは。アメリカ留学中のカイです。
誰しも一回は考える教育の必要性。
ある大臣は『大人になって因数分解なんてものは使っている人はいない。』
と発言。
おそらくそれは正しい。
大抵の人は大人になって底の変換公式なんて愚か、log すらも使わないだろう。
生活に必要な数学なんてものは小学生のうちに終わっていると思う。
私も小学生の頃はよくなんで分数の計算をしなきゃなんだ、とか思っていた。
何もこの話は数学だけではない。
誰がいつ使うのかも分からない英単語を覚えたりおそらく日常で考えないであろうグルコース(単糖)の構造式を覚えたり。
果たしてこれらには意味があるのか、
結論として生活するにあたってこれらを知る必要はないであろうし、これらの知識がなくても生活に支障をきたすことはないだろう。
なんなら四則演算ができなくても今の世の中はどうにかなる。
ただ、私が思うにこれらに触れることで世界観は広がるし、私は数学を学んでいて楽しかった。何故球の体積を求める公式がv=4/3πr^3 なのかも学べた。
例えば歴史、今のこの世界がどのようにして出来上がったのかを学ぶのはとても興味深い。
失敗の歴史から学ぶことも多々あるし、大切にしないといけない伝統も学ぶことができる。
旅行に行った時、地理や歴史の知識があると新しいところでもいろんな視点で旅行を楽しめる。飛行機から見た地形と地図帳が重なったり。日本中至る所にある小さな祠の説明などに知っている人物が出てきたり。日常と授業が繋がる瞬間はかなり面白い。
化学や生物の知識があるとテレビショッピングや広告に対してツッコミができる。
まぁ、それがメリットなのかはよくわかりませんが知識があるとまた別の視点で世界が見えるのではないかと思う。
少しでも世界が広がると楽しくなる。
そもそもせっかく授業があっているのに受験のことしか考えないで勉強してんなよ、とは中学から高校2年時の自分自身にも言ってやりたい。
勉強は受験に合格することが目的ではない。つまり必死に暗記することは真の勉強ではない。
勉強するにつれてその事象の根本を理解することが大事だと思う。
勉強に楽しさを見出せないのは勿体無い。
今日も読んでいただきありがとうございました、
自分なりに考える高校までの教育の意味。
こんにちは。アメリカ留学中のカイです。
誰しも一回は考える教育の必要性。
ある大臣は『大人になって因数分解なんてものは使っている人はいない。』
と発言。
おそらくそれは正しい。
大抵の人は大人になって底の変換公式なんて愚か、log すらも使わないだろう。
生活に必要な数学なんてものは小学生のうちに終わっていると思う。
私も小学生の頃はよくなんで分数の計算をしなきゃなんだ、とか思っていた。
何もこの話は数学だけではない。
誰がいつ使うのかも分からない英単語を覚えたりおそらく日常で考えないであろうグルコース(単糖)の構造式を覚えたり。
果たしてこれらには意味があるのか、
結論として生活するにあたってこれらを知る必要はないであろうし、これらの知識がなくても生活に支障をきたすことはないだろう。
なんなら四則演算ができなくても今の世の中はどうにかなる。
ただ、私が思うにこれらに触れることで世界観は広がるし、私は数学を学んでいて楽しかった。何故球の体積を求める公式がv=4/3πr^3 なのかも学べた。
例えば歴史、今のこの世界がどのようにして出来上がったのかを学ぶのはとても興味深い。
失敗の歴史から学ぶことも多々あるし、大切にしないといけない伝統も学ぶことができる。
旅行に行った時、地理や歴史の知識があると新しいところでもいろんな視点で旅行を楽しめる。飛行機から見た地形と地図帳が重なったり。日本中至る所にある小さな祠の説明などに知っている人物が出てきたり。日常と授業が繋がる瞬間はかなり面白い。
化学や生物の知識があるとテレビショッピングや広告に対してツッコミができる。
まぁ、それがメリットなのかはよくわかりませんが知識があるとまた別の視点で世界が見えるのではないかと思う。
少しでも世界が広がると楽しくなる。
そもそもせっかく授業があっているのに受験のことしか考えないで勉強してんなよ、とは中学から高校2年時の自分自身にも言ってやりたい。
勉強は受験に合格することが目的ではない。つまり必死に暗記することは真の勉強ではない。
勉強するにつれてその事象の根本を理解することが大事だと思う。
勉強に楽しさを見出せないのは勿体無い。
今日も読んでいただきありがとうございました、
寒さの凌ぎ方。三つのセプト型。
さて今回は冬も迫ってきたカリフォルニアから寒さの凌ぎ方について語っていこう。
朝は10℃を下回るのに昼は25℃程度にまで上がる意味の分からない気候での生活にも慣れた今日この頃。
冬には夏が良いと言い、夏には冬が良いと言う。
結局それの繰り返し。
さて、先日私の友人から以下のような話があった。
寒さの凌ぎ方という観点で全人類を見た時、全ては3つの『セプト型』に分けられる。
文明の力を最大限に利用し寒さというものを排除するエクセプト型。except
寒さを凌ぐ、冬を耐え抜くという考え方自体をやめ寒さを受け入れることによって初めて解放されるアクセプト型。 accept
寒さという概念そのものを消し去ることで寒いという感情ではなく、冬の気温が低い状況で肌に違和感があるという捉え方をするコンセプト型。concept
私の友人は全人類はこの3つに分けられると仮定した。
1つ目のエクセプト型。
ほぼ全ての人類はこの型に当てはまるだろう。
当然私もここに分類されし一人である。
冬は朝起きる一時間前に部屋が暖かくなるように暖房を設定し、鉄の酸化反応における発熱の恩恵を日々受ける。
朝寒くて布団から出られない我々は果たして恒温動物を名乗れるのだろうか。
変温動物へと退化していないだろうか。
文明の利器により私たちが体温調整できなくなる時代はすぐそこに迫っている。
2つ目のアクセプト型。
小学生の頃には学年に一人はいた一年中半袖半ズボンの彼らはここに分類される。
彼らにとって真冬に半袖半ズボンで登校することは見栄を張っているわけでは決してないのだ。
寒さに耐えているのではなく、より自然体に近い形で、倫理的に許される範囲で寒さを受け入れているのだ。
世間が許すのであれば彼らは全裸登校も厭わないだろう。
我々の理解のはるか彼方に存在する高度なメンタリティの持ち主たちだ。
いや、メンタルだけで片付けていいものなのだろうか。
アクセプト型の彼らは真の恒温動物と言えるだろう。
外気に関係なく体温を一定に保つ動物。
それこそがアクセプト型人類だ。
3つ目のコンセプト型。
寒さという概念がなければ寒いという感情は抱くはずもない。
これはフランス人が『肩こり』という言葉を知らないため肩を凝らないというものに近いだろう。
寒さに対して寒いという感情表現が出来ないのであれば、ただ肌に違和感を感じるだけにとどまるはずであろう。
赤道付近にすんでいる方に寒いという概念があるのか気になるところだ。
どのセプト型が一番魅力的だっただろうか。
寒さ以外のことにもこのセプト型は応用できる気がしてきた。
※注…今回の文章はあくまで私たち個人の考えです。世間的にセプト型は存在しておりません。
今回も読んでいただきありがとうございました。