原爆と戦争について考える。
こんにちは。
アメリカ留学中のカイです。
今回は太平洋戦争中に日本に落とされた二つの原子爆弾についての個人的な考えを書いていこうと思います。
私は長崎県で生まれ育ち、平和学習とは常に授業の一部になるような身近な話題でした。
1945年8月6日午前8時15分に広島に8月9日午前11時2分に長崎に落とされた原爆は多くの命を奪いました。
他にも、この太平洋戦争では東京大空襲や沖縄戦など多くの尊い命が犠牲になっています。
何故今、この話題について書こうと思ったのかを説明します。
先日友人3人と遊びに行った時、ふとしたことから太平洋戦争の話になりました。
私は歴史を考えるのは大事な事だと思っているので、たとえその戦争が日本とアメリカの間で起こったことであろうと、真面目に議論するのは良い事であると思っていました。
実際に以前その話題で他の友人と興味深い議論ができました。
しかし、今回はそのようにはいきませんでした。
『日本から仕掛けてきた戦争で多くの人が死んでいるんだから原爆は正しい判断だった。』
と笑いながら言われました。
言っていることは一理あります。ただ笑いながら言われたことに腹が立ちましたし、悲しくなりました。
『パールハーバーは軍事施設を狙ったもので原爆でどれだけの民間人が殺されたのか知っているのか?』と聞くと
『それを言ったらパールハーバーでもアメリカ人はたくさん死んだし、太平洋戦争で米軍人は多く死んだ』
と返されました。
犠牲者の数でどちらが悪いのかと言う議論はしたくありませんが、彼らはキノコ雲の下で何が起こっていたのかを知らないから笑いながらの発言になるのだと気づきました。
知っていたとすれば笑えるはずがありません。
挙げ句の果てには、
『長崎と広島はまだ放射汚染されてるんだろ?お前は大丈夫なのか?』
と、冗談にしても傷つきます。
これら全ての発言が軽率で笑いながらの発言だったことには心底がっかりしました。
正しい情報を得ていない人がアメリカには多くいる、そんな現実を感じました。
俺ら核たくさん持っている自慢もありました。
現状、世界ではロシアやアメリカを先頭に多くの国が核兵器を所持しています。
抑止力になるのは事実なのかもしれませんが、
それを使うことで多くの人の命が犠牲になります。
かっこいいものでは全くありません。
核は人を殺す道具でしかなく、それ以上でもそれ以下でもありません。
知識人の中には『戦争は必要悪だ』と言う人もいますが、
おそらく言っている人は皆他人事です。
少なくとも私は大切な人、自分の故郷を核のボタンひとつでめちゃくちゃにされたくはありません。
そもそも平和な世界で困ることなんてまだ20年しか生きてませんが一つもありません。
当事者になった時に果たして同じセリフが言えるのかが甚だ疑問です。
今の平和は太平洋戦争の結果の平和だから戦争は必要だった、と言われるかもしれません。
しかし、仮にそうだとするのならば、もうこれ以上はいらないでしょう。
本当に戦争で死にたい人なんていないです。
平和ボケしている私たちの世代はもっと戦争中に起きていたことを知る必要があります。
それは何もアメリカ人だけではありません。
私たち日本人も知る必要があります。
そうすれば核が落ちることを望む人は減るでしょうし、笑いながら長崎、広島を不確かな知識で語る人も減るでしょう。
そうなることを願っています。
今回も読んでいただきありがとうございました。