さて今回は冬も迫ってきたカリフォルニアから寒さの凌ぎ方について語っていこう。
朝は10℃を下回るのに昼は25℃程度にまで上がる意味の分からない気候での生活にも慣れた今日この頃。
冬には夏が良いと言い、夏には冬が良いと言う。
結局それの繰り返し。
さて、先日私の友人から以下のような話があった。
寒さの凌ぎ方という観点で全人類を見た時、全ては3つの『セプト型』に分けられる。
文明の力を最大限に利用し寒さというものを排除するエクセプト型。except
寒さを凌ぐ、冬を耐え抜くという考え方自体をやめ寒さを受け入れることによって初めて解放されるアクセプト型。 accept
寒さという概念そのものを消し去ることで寒いという感情ではなく、冬の気温が低い状況で肌に違和感があるという捉え方をするコンセプト型。concept
私の友人は全人類はこの3つに分けられると仮定した。
1つ目のエクセプト型。
ほぼ全ての人類はこの型に当てはまるだろう。
当然私もここに分類されし一人である。
冬は朝起きる一時間前に部屋が暖かくなるように暖房を設定し、鉄の酸化反応における発熱の恩恵を日々受ける。
朝寒くて布団から出られない我々は果たして恒温動物を名乗れるのだろうか。
変温動物へと退化していないだろうか。
文明の利器により私たちが体温調整できなくなる時代はすぐそこに迫っている。
2つ目のアクセプト型。
小学生の頃には学年に一人はいた一年中半袖半ズボンの彼らはここに分類される。
彼らにとって真冬に半袖半ズボンで登校することは見栄を張っているわけでは決してないのだ。
寒さに耐えているのではなく、より自然体に近い形で、倫理的に許される範囲で寒さを受け入れているのだ。
世間が許すのであれば彼らは全裸登校も厭わないだろう。
我々の理解のはるか彼方に存在する高度なメンタリティの持ち主たちだ。
いや、メンタルだけで片付けていいものなのだろうか。
アクセプト型の彼らは真の恒温動物と言えるだろう。
外気に関係なく体温を一定に保つ動物。
それこそがアクセプト型人類だ。
3つ目のコンセプト型。
寒さという概念がなければ寒いという感情は抱くはずもない。
これはフランス人が『肩こり』という言葉を知らないため肩を凝らないというものに近いだろう。
寒さに対して寒いという感情表現が出来ないのであれば、ただ肌に違和感を感じるだけにとどまるはずであろう。
赤道付近にすんでいる方に寒いという概念があるのか気になるところだ。
どのセプト型が一番魅力的だっただろうか。
寒さ以外のことにもこのセプト型は応用できる気がしてきた。
※注…今回の文章はあくまで私たち個人の考えです。世間的にセプト型は存在しておりません。
今回も読んでいただきありがとうございました。