run into wild

アメリカでの生活の中で感じたことなどを週に数回文字に書き起こそうかと思います。

人種って結局何か、

こんにちは。

アメリカ留学中のカイです、

今回は少し真面目に疑問を書き殴ろうかと思う。。

 

前に書いた記事で私はアメリカは多くの人種がいる。というようなことを書いた。

 

しかし、最近になって行き着くのが

結局人種って何なのだろうという疑問だ。

 

大学入試の評論で出てきそうな『人種を人種たらしめているものとは?』みたいな疑問だ。

そもそもこんなことを考えるのにあまり意味などないかもしれないが、考えるのが少し面白かったのと文字に書き起こしたら考えが纏まりやすくなるのでここに刻む。

 

今回、こんなことを考え始めたきっかけは大学の英語の授業だ。

今、授業では自分の決めたテーマに沿って論文ちっくなものを書いている。

そこで自分はアメリカにおける人種差別をテーマにした。

人種差別とは関係なく地球上の人種には以前から興味があったからだ。

 

人種形成において本当に重要なのは肌の色や瞳の色なのかは以前から甚だ疑問に思っている。

人の外見が人種を確定しているのかということだ。

まぁ、おそらく重要ではないだろう、と個人的には思う。

その地域の社会的風習や経済状況、教育、その他いろいろな要素が絡み合って人種を形成していくものだと私は思う。

だから、日本で生まれ育った日本人とアメリカで生まれ育った日本人の両親から生まれた子供の人種は異なる、という考え方だ。

もし全ての人間がこのような考え方をしていれば、人は見た目では差別はしないはずだ。

 

しかし、現状人間は肌の色で差別をする。アメリカ史に至っては典型的だ。黒人に対する差別は今現在でもアメリカ社会に根付いている大きな問題だ。

アメリカで生まれ育ってきた黒人でさえも差別されることがある。

場合によっては死人が出る。

コロナウイルスの流行時のアジア人に対するヘイトクライムも似たようなことが起こっていた。

アジア系アメリカ人というだけで無差別に襲われたり心のない言葉を浴びせられる。

標的なった人の多くは同じくアメリカで生まれ育ったアメリカ人だ。

 

そこで少し思うことがある。

 

社会的人種の違いと、人間という生物の中の人種がどこまで違うのか、ということだ。

 

以前私が記事であげた『多くの人種がいる』における人種は今考えると私自身の視覚に基づいた生物的なものだ。

その時の私の意図としては、『多くの人種が共存している』というものに近い気がする。

そう考えると私自身が見た目で区別していたのだな、と思ってしまった。

なぜなら、社会的人種で考えると皆同じアメリカ人という人種。

その中で起こる人種差別とはこのような視覚的区別に起因するのでは?と思い始めた。

しかし、そのような視覚的要素を根本的に無くすのは黒人、白人、黄色人種

というような言葉が存在する限り不可能だと考える。

肌の色で区別した呼び名だからだ。

思うに差別と区別は違うと聞くこともあるが紙一重だと私は思う。

まず、間違いなく区別が原因となり差別が起きている。

 

ただ、またここで一つ言わなければならないこともある。

アメリカの場合は本当に特殊で、多くの移民の人たちがいる。

その点では社会的にも生物的にも異なる人種が多くいるのがアメリカという国であり、それらを見分けることは不可能だ。

なので二つの視点から多くの人種が共存していることは確かだ。

 

ここまで私の考えていることを文字に起こしてみたが、何が正しいのかはおそらく人によるのだろうな、ということで、これら二つに固執する必要もないということがわかった気がする。

 

確かなことは

 

生まれながらのルックスで差別が起きるのはくだらないことだということだ。

かと言って社会的背景をもとに人を差別することもくだらない。

 

全ての人が対等に扱われる日が来ることを願う。

 

 

今回書いたことはおそらく自分の中で変わっていくはずだ、

長い人類の歴史が原因で差別が起こる、これからもこのことについて考えていきたい。

 

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

コメントがあればお願いします。